Fランクビルメンはまブログ

過去の職歴や現在のビルメンの仕事を紹介しています。

第6話 日雇い引っ越し作業を1日だけ働いたお話

こんにちは、Fランクビルメンのはまです。

今回は、私が21才の時に1日だけ引っ越し作業の日雇いアルバイトをやった時のお話をします。今から27年前の古いお話です。

 

21才の頃、家でニート生活をしながら仕事を探していました。毎週発売される求人雑誌やアルバイト雑誌を見ていい仕事を探していましたが、そんな簡単にいい仕事が見つかる訳がありません。とりあえず日雇いでもいいから働こうと思っていました。アルバイト雑誌に引っ越し作業の日雇いアルバイト募集を見つけました。日給9,500円です。家から原付バイクで15分くらいで行けるのでとても便利な場所です。

 

この引っ越し作業の仕事は、私の人生の中で2番目にキツイ作業でした。ちなみに1番キツイ作業は、第5話でお話した期間工ワープロ組み立ての仕事です。働いた引っ越し会社は、割と名前は知られている中堅クラスの引っ越し会社でした。アルバイト雑誌に書いてある電話番号に電話して、とりあえず日雇いで1日働いてみる事にしました。

 

当日原付バイクで行ってみると大きい駐車場に2tトラックや4tトラックが十数台止められています。駐車場の端っこにプレハブ小屋で簡単に作られた事務所があります。その事務所で日雇いアルバイトの受付をして作業着が支給されたので作業着に着替えました。平日の朝8時頃ですが、社員とアルバイトを合わせて30名くらい集まっていました。みんな若かったです、社員の人でも20代後半から30代、アルバイトは20才~30才といった感じでした。40才過ぎると引っ越しは作業はキツイから出来ないんでしょうね。そしてチームごとに分けられます。私は4人のチームに入りました。

 

 チームのメンバーはこんな感じです。

①リーダー30才くらいの社員Aさん

②日雇いバイト20才の男子大学生Bくん

③日雇いバイト20才の女子学生Cさん

④日雇いバイト21才の無職底辺の自分

 

BくんとCさんは同じ大学の友達同士でバイトに来ています。私以外の3名は、すごいベテランです。AさんBくんCさんは仲良く会話していました。私だけ引っ越し作業初日の初心者です。トラックの乗る位置ですが、Aさんは運転席、B君は助手席、Cさんはトラックの荷台、私は運転席と助手席に間にある小さい補助席のような場所に座りました。狭かったので荷台の方が広くていいと思いました。トラックで移動中、AさんとBくんの会話を聞いていると、Aさん「先月がんばって残業たくさんやったから今月の給料は手取りで30万超えたよ」と言ってました、なかなか良い給料だな~と思いました。Bくん「自転車で北海道一周してきました」と言ってました。只者ではないなと思いました。AさんBくんCさんは全員すごい体格がいいんです、プロレスラーみたいなマッチョとは違いますが、体操選手のように引き締まっていて筋肉が付いている感じです。

 

仕事は午前中に1件の引っ越し作業、午後に2件目の引っ越し作業です。終わったら会社に帰ります。1件目の引っ越し業はワンルームに住んでいる1人暮らし男性の引っ越し作業なので簡単に終わりました。昼食はコンビニで弁当やパンを買ってトラックの中でたべました。午前中の作業が簡単に終わったので引っ越しなんて楽勝楽勝と思っていたら2件目がキツかったです。大きい2階建て住宅の引っ越し作業です、家族が多いので重い家具も多いです。私はBくんとペアになって重くて大きいタンスなどをトラックに積み込みました、なんとかがんばって積み込み作業は終わりましたが腕がパンパンになって握力も弱くなってきました。AさんBくんCさんは、全然疲れていないみたいで余裕の顔をしています。新しい家に着くと荷物を降ろす作業が始まります。信じられないのが荷物を普通に歩いて運ぶならいいんだけど、タンスのような重い物を持って走って運ぶんです、マジかよ!って思いました。なんでそんなに急いで運ぶ必要があるのか?転んでしまって大事な荷物を傷つけた時の事を考えないのか?と思いました。それで何個かがんばって重い物を運んでいたんですが、Bくんと一緒に重いタンスと1階から2階に運んでいる時に、腕の力がなくなってきてタンスを階段に落としてしまいました。カバーをかぶせてしっかり養生はしてあったので傷が付いたりタンスが壊れたりはしませんでした。大きい音を立ててしまいお客さんにご迷惑をかけてしまいました。それでリーダーのAさんは「こいつには無理だな」と思ったんだろうと思います、「重い物はいいから軽い物だけ運んで」と指示を受けました。

 

なんとか午後の引っ越し作業も終わって会社に戻ります。プレハブ小屋の事務所で日給9,500円を受け取る事になっていますが、自分で納得いく仕事が出来なかったので日給は受け取りませんでした。いい経験といい勉強になったと思います、引っ越し作業は甘くないという事がわりました、自分の考えが甘かったです。かなりの体力が必要ですね。それ以降引っ越し作業の仕事はしていません。経験してみるといろいろわかる事があります、経験って大事ですね。

 

 

 

第5話 期間工を1日で逃げ出した情けないお話

こんにちは、Fランクビルメンのはまです。

 

今回は私が21才の頃に期間工を1日だけ働いてキツクて逃げ出したお話をします。約27年前の古いお話です。21才の頃、父のトラック運転手の手伝いの仕事も終わり、家でニートをしながら仕事を探していました、アルバイト雑誌を見ると結構期間工の募集が多く掲載されていました。とある期間工募集が目に着きました。

 

期間工募集 ワープロ組み立て 期間3ヵ月間

2交代制 残業1日1h~2h 休日出勤1日で月収23万~25万円可能

個室寮完備 車持ち込み可 満了金支給

 

↑こんな感じの募集だったと思います。当時、自分の車を持っていたので車を持ち込めるならいいなと思い採用担当に電話をしました。現地の駅で面接する事になりました。

(現地について記憶があいまいなのですが、茨城県か栃木県のどちらかです)私は車で現地の駅まで行き担当者の方にお会いして履歴書を渡して簡単な面接をして案内して頂きました。人手不足みたいだったので簡単に採用されました。寮は共同アパートのような感じです、2階建ての大きい住宅で、玄関は一つです。トイレやお風呂は共同です。

 

建物の中に洋室ワンルームの個室がいくつもあります。寮の前に2台ほど車を駐車できるスペースがあるのでそこに自分の車を止めさせてもらいました。夜19:30分になると工場まで行く送迎バスが寮の前に到着するのでそれに乗ってっ工場まで移動します。

工場での勤務時間はこんな感じです↓

 

夜20時仕事開始、2時間労働→5分休憩→2時間労働→1時間めし休憩→2時間労働→5分休憩→2時間労働→5分休憩→残業1時間→朝6時送迎バスで寮に帰る。

 

工場に着いたら私は初めてだったので班長さんから仕事の指示を受けました。

班長から受けた指示の内容↓

①ベルトコンベアで流れてくるワープロを取って自分の作業台の上に置く

ワープロの横に小さい部品をカチッとはめ込む。

ワープロを立てて背面に小さい部品が付いている事を確認する。

④部品が付いているのを確認したらワープロをベルトコンベアに戻す

↑この作業を4秒(あくまでも体感です、正確に4秒測った訳ではないです)で行います。4秒でやらないとワープロがどんどん流れていってしまいます。実際やってみると4秒以内でやるのは無理だったので、作業を一つ飛ばしました、③の作業を飛ばしました、③の作業をやっていると約5~6秒かかってしまうので間に合いません、部品をカチッとはめ込んだらワープロをベルトコンベアに戻していました、それでギリギリ4秒です。

 

作業開始して20分くらいで脳がクラクラしてきました。素早い作業の繰り返しと同じ作業の繰り返しで体が疲れるだけでなく脳も疲れてきました。当時は21才で若かったから耐えられたけど今は無理ですね、途中で倒れていると思います。30分働いてこの作業を明日も続けるのは無理、絶対にぶっ倒れる、今日の仕事が終わったら逃げようと決めました。

私のやっている作業は通常は2名でやる作業だと思います、1名では絶対に無理です、若くて体力のあった時だから出来たけど今は無理ですね。

下のへたくそな絵で説明したいと思います。他の作業場所ではベルトコンベアの左右に人がいます。私の場所だけ隣に人がいません。他の人の作業を見ると2名で交互にワープロを取って同じ作業をしていました、他の場所の人達は8秒で作業ができます。私の場所だけ1名なので4秒で作業しないといけません、人手不足だからといって新人を初日からキツイ現場に入れないでほしいですね。

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夜0時になって食事休憩になりました。大きい食堂で工場で働いている人達300人くらいで食事をしていました。食堂のおばちゃんもこんな深夜に食事を作る為に来てるなんて大変だなと思いました。

 

私はぐったり疲れていたので食事はしないで横の自販機コーナーの椅子に座って休んでいました。そしたら昼間に面接をしてくれた採用担当の人が来てくれました、椅子に座って休んでいる私を見て「大丈夫ですか?食事はしないんですか?」と声をかけてくれました。私は「工場に来る前に食べてきたのでお腹いっぱいなので大丈夫です」と答えました。そしたら「コーラどうぞ」と言って紙カップのコーラを買って頂きました。こんな深夜に工場に見に来るなんて大変だなと思いました。担当者の方から「仕事の方は大丈夫ですか?」と聞かれたので「仕事の方は問題ないですよ、大丈夫です」と言っておきました。本当はもうフラフラで今日の仕事が終わったら逃げる事に決めています。少しお話したら担当者の方は帰りました。

 

休憩が終わるとまた作業に戻ります。班長から1時間残業お願いねと言われました、がっくりしました、定時で帰れると思っていたけど甘くはありません、ライン作業だから一人でも抜ける訳にはいかないです。1時間がんばって残業して終わった時には、立ってるのがやっとです意識もフラフラクラクラ状態です。送迎バスに乗って寮に帰りました、すぐにでも車で逃げ出したかったんですが、あまりにも疲れていたので、昼過ぎまで寮で寝ていました。起きたら車に荷物を積んで実家に帰らせて頂きました。その後、会社からは何の連絡もきませんでした。今思うと逃げ出す前に担当者の方に一言相談すればよかったなと思います。

第4話 コンビニルート配送のトラック運転手伝い

こんにちは、Fランクビルメンのはまです。

 

今回は、コンビニルート配送の仕事をやっていた時のお話をしたいと思います。

今48才なので28年前の話になります。20才で自衛隊を退職後、実家に戻ってきました。フランス外人部隊に行こうと思っていたのでフランス語を勉強しながら実家でのんびりニートをしていた時期です。父が首の神経を悪くしてしまい右手と右足に軽い障害が残ってしまいました。右手はハンドルや茶わんなどの大きい物は持てますが、服のボタンを付けるような細かい作業ができなくなりました。右足もびっこを引いて歩くようになってしまいました。それで父から仕事を手伝ってほしいと頼まれて父の仕事を手伝う事になりました。

 

父は、2tトラックの運転手をしておりコンビニ店舗をまわって商品を届ける仕事をしています。運ぶ商品はペットボトルのケースや缶飲料のケースで重い商品が多いです、カップラーメンは軽くてよかったです。父は運送会社の正社員という訳ではなく自家用2tトラックを持ち込んで仕事を請け負っていました、業務委託契約になると思います。運送会社からいくら委託料?を貰っていたのか聞いた事はないのでわかりません、私は父の仕事の手伝いなので、当然給料は出ません、貯金が少しづつ減っていきました。トラック運転手の仕事ですが平日勤務で土日祝日は休みです。朝は早いです、5時半頃に起きて配達地域に向かいます。朝は道路が渋滞するので渋滞する前に配達地域に到着する為です。配達地域に到着するとコンビニを約10店舗まわって商品を卸します。商品を届け終わったら一旦家に帰って昼飯休憩します。昼飯を食べて軽く昼寝をしたら運送会社に向かいます、トラックに午後便の商品を積み込んでまたコンビニを10店舗くらいまわって商品を届けます。終わったら運送会社に戻って明日の分の商品の積み込みをして家に帰ります。

 

商品は重い物が多いです、若いうちはいいけど40代になると腰を痛めると思います。雨の日も雪の日も商品を届けなくてはいけないので大変な仕事だと思います。父はよくこんなキツイ作業をずっつ続けてきたな~と尊敬してしまいました、私には無理です。自分の車を運転する時もよく擦っていたので、運転は雑な方です。夜遅くまで起きてる事も多いので居眠り運転をする可能性が高いです。大きな事故を起こす可能性が高いので運転する仕事は絶対やらないように決めています。トラック運転手の仕事をしている人はりっぱだなと思います、全国のトラック運転手のみなさん、事故の無いように安全運転と健康に気を付けてがんばって下さい。いつも商品を届けてくれてありがとうございます!

第3話 自衛隊後期教育から自衛隊退職まで

こんにちは、Fランクビルメンのはまです。

 

今回は、自衛隊の後期教育から退職するまでのお話をしたいと思います習志野駐屯地での前期教育が終わり、大砲を扱う後期教育を受ける為に山梨県にある北富士駐屯地にやってきました。1班8名で3班あったので24名で後期教育を受けます。みんな前期教育を受けた駐屯地はバラバラです、全国から集まってきています。撃ち方を覚える大砲はFH70(155mmりゅう弾砲)と言って当時では新しい大砲です。この大砲を閉まっている状態から撃てる状態にするまでの訓練を受けます。期間は約2ヵ月間です。

 

後期教育が終わるとそのままそこの駐屯地の部隊に配属になります。部隊には2種類あってFH70を射撃する部隊をそれを支援する本部管理中隊があります。私は本部管理中隊に配属になりました。その本部管理中隊の中にもいろいろあって測量班、通信班、衛生班などがあります。私は測量班の配属になりました。そして測量を覚える為にまた2ヵ月間教育を受ける事になりました。特科測量と言って敵の位置と自分の位置と大砲のある位置をサインコサインタンジェントなどの三角関数を使って約30キロ離れている大砲の弾が正確に敵にあたるように座標を計算して仲間に連絡します。測量班の自分は敵が見える位置にいるので、一番敵に近いからやられる可能性があります。ランボーのようになりたかったのに、なんでサインコサインタンジェントの勉強しないといけないんだよ!って嫌になっていました、前期教育の終わりの時に何も考えず特科部隊を選んでしまった事をすごい後悔しました。測量教育の最後に試験がありますが、その試験には無事に合格しました。2ヵ月間の測量教育が終わると本部管理中隊に戻ってきます。

 

部隊に戻ってきても普段はあまりやる事がありません、倉庫整理とか臨時勤務ですね。臨時勤務というのは食堂で約200人分の飯を作る糧食班と火災の時に消火活動をする消防隊などがあります。臨時勤務の期間は3ヵ月です。消防隊の臨時勤務は、すごい楽なので行きたかったですが、行けませんでした。糧食班の臨時勤務には行きました、1班5名で3班あります。朝飯、昼飯、夕飯を作りました、朝は5時起きなので大変です。本部管理中隊にいる間は土日祝休みですが、臨時勤務に行っている間は交代勤務なので平日にも休みがあります、臨時勤務に行っている間に近くの教習所に通って普通自動車免許を取得しました。自衛隊は1任期2年間の勤務なので、1任期が終わる頃に部隊に残って続けるか?辞めるか?聞かれます。あまりやりがいも感じられなかったので退職する事にしました。当時は海外派遣もなく、災害派遣も行った事がありませんでした。海外派遣があれば行ってみたかったですね。部隊の先輩から「辞めない方がいいぞ、民間企業は自衛隊より全然厳しいぞ、自衛隊の方が楽だぞ」と教えてくれましたが、確かにその通りでした、民間企業の方が全然厳しいです。自衛隊にいた方が生活も安定しているし全然楽でした、戻れるなら戻りたいですが、年齢的にもう戻れまん。今思うと続けていればよかったな~と後悔しています。

 

自衛隊を1任期(2年)で退職した後は実家に戻ってきました。自衛隊が暇すぎでやりがいがなかったので、海外の部隊に行こうと思ってフランス外人部隊に行く事に決めました。とりあえずフランス語がまったくわからなかったので外国語学校でフランス語の勉強をする事にしました、1回1時間、週2回、3ヵ月間通う事になりました。勉強も終わりの時期になって、父が急に病気になりました、首の神経に異常があるみたいで体の右半分が少し麻痺している状態になってしまったんです。右手でハンドルとか大きな物は握れますが、ボタンを付けるような細かい作業ができなくなりました、右足もびっこを引くような感じで歩くようになってしまいました。父はトラック運転手の仕事をしていましたが、一人では出来ないので手伝ってほしいと頼まれて、フランス外人部隊に行くのは諦めて約1年ほど父の仕事を手伝う事にしました。

 

自衛隊HPより引用FH70

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第2話 高校を卒業して自衛隊入隊

こんにちは、Fランクビルメンのはまです。

 

今48才なので今から30年前、18才の時に自衛隊に入隊した時のお話をしようと思います。高校2年生にもなると大学に行くか就職するか進路を決める時期になりますが、私の通っていた学校は進学校ではなかったので7割くらいの人が就職していました。大学に行きたいと思っても実家には私を大学に通わせる余裕はありません。父はトラック運転手をしており給料がいいという訳でもなく数年前に買った家のローンもたくさん残っています。親に負担はかけたくないので高校を卒業したら就職する事にしました。

 

就職するといっても普通のサラリーマンは嫌です、毎日スーツを着て満員電車に乗るなんて耐えられません、当時映画でランボーを見てかっこいいな~と思っていたので自衛隊に入隊する事にしました。通っている高校の地域を管轄している自衛官募集事務所に応募しにいきました。

 

当時はバブルまっさかりで自衛隊に入隊しようする人は、ほとんどいませんでした。私のような自衛隊に入隊しようとする若者はとても貴重な存在です。自衛隊募集事務所の人に飯をご馳走してもらったり駐屯地見学に連れて行ってもらったりとても親切にして頂きました。そして自衛隊入隊試験を受けて無事に合格して陸上自衛隊の2等陸士になる事ができました。当時の試験は今みたいに倍率は高くなく健康なら誰でも合格できるような簡単な試験です。高校を卒業して自衛隊に入隊すると前期教育約3ヵ月、後期教育約2ヵ月、それから部隊配属になります。

 

前期教育は習志野駐屯地で受けました、広くてとても綺麗な駐屯地でした、パラシュート部隊の隊員のみなさんはとてもカッコよかったです。その習志野駐屯地では、歩き方、啓礼の仕方、銃の持ち方、射撃訓練、戦闘訓練など、基本的な行動を教わりました。1班8名で9班あったので約72名の同期で訓練を受けました。前期教育が終わりの頃になってくると後期教育の希望を聞かれます、普通科部隊、特科部隊、偵察部隊、通信部隊、戦車部隊など他にもいろいろありますが、それぞれの部隊の事をよく知らないのでどの部隊に決めたらよいのかりませんでした、そしたら隊長が「特科でもいいか?」と進めてきたので「特科でいいです」と返事をしました。あとでわかったんですが、特科とは大砲を撃つ部隊の事です。

 

前期教育が終わると、みんな後期教育を受ける為に、バラバラになります。お別れの日は、習志野駐屯地からトラックの荷台に乗せられて駐屯地を順番に出ていきます。3ヵ月間厳しい訓練を一緒にがんばってきた仲間が「がんばれよー!元気でな―!」と見送ってくれています。思わず涙が出てきてしまいました。泣くつもりはなかったんですが、自分でもびっくりしました自然と涙が出てきて涙が止まりませんでした、20分くらい泣いていました。後期教育を受ける場所は山梨県にある北富士駐屯地です。そこで大砲を撃つ訓練を約2ヵ月受けます。

第1話 転職が多いおっさんの情けない履歴書

こんにちは、Fランクビルメンのはまです。

 

まず初めに、私が高校を卒業してから現在(48才)までの職歴をご紹介したいと思います。

 

学歴

 18才、Fランク高校卒業

 

職歴

①18才~20才、陸上自衛隊勤務、1任期(2年間)勤務

月収は手取りで約10万円くらいでした。いろいろな職業を経験しましたが自衛隊が一番楽でした。

 

②20才、父の仕事(自営のラック運転手)の手伝い、約9ヵ月勤務

父の手伝いなので給料はありません。コンビニ店舗を周って商品を届ける仕事です。父の仕事を手伝う予定はなかったんですが、父が急な病気で半身が少し麻痺した状態になってしまったので仕事を手伝う事になりました。

 

③21才、ワープロ組み立ての期間工、1日勤務

3ヵ月働く契約でしたが、あまりにキツくてぶっ倒れそうになったので1日で逃げ出しました。逃げ出したので給料はもらっていません。

 

④21才、日雇いで引っ越しのバイト、1日勤務

日給9500円。しばらく続けるつもりでいましたが、あまりにキツかったので1日だけにしました。途中からヘトヘトになってしまい自分で納得する仕事ができなかったので日給は受け取りませんでした。

 

⑤21才、パチンコ屋でバイト、約半年勤務

時給1200円で月に手取りで16万円くらい稼いでいました。

 

 ⑥21才~23才、鉄道レールを溶接する助手の仕事、正社員で約2年勤務

月収は手取りで約22万円くらいでした。溶接の光で目を焼いたり、隣で電車が走っている場所で作業したり、重い酸素ボンベを運んだり、カッターで鉄を削ったりするので危険な作業でした。若いうちはいいけど長く続けるのは無理だと思い退職しました。

 

⑦23才、不動産仲介営業、約3ヵ月勤務

給料は初月は20万円の固定給だったけど2ヵ月目から完全歩合給(30%)になりました。家を売る事ができなかったので給料が貰えず退職しました。正社員募集の求人広告を見て採用されたんですが、保険には何も入れてもらえなかったので正社員ではなかったみたいです。求人広告では勤務時間が9時~18時と書かれていたのに実際の勤務時間は9時~23時頃まででした。営業なので残業手当などは一切出ません。水曜日が休日でしたが休日出勤は当たり前でした。一番ブラックな会社だったけどいろいろ勉強になる事が多かったです。

 

⑧23才~26才、1社目の警備会社で機械警備員、正社員で約2年半勤務

宿直勤務や残業が多くて給料はよかったです、月収は手取りで約25万円くらい貰っていました。物件も少なくて楽な日が多かったです。発報がなければ車の中でずっと寝ていたりドライブできるので自由で楽しかったです。しかし深夜に発報したビルに一人で確認しに行くのは怖かったですね。

 

⑨26才、 2社目の警備会社で機械警備員、正社員で5日間勤務

入社して最初の4日間は警備員教員を受けました。そして現場に配属になりましたが1社目と比べてあまりの物件の多さにおどろいて現場配属1日目でで退職しました。給料は受け取れませんと言って断りました。

 

26才~27才、1社目のビル管理会社でビルメン、正社員で約3ヵ月勤務

病院の設備管理を約3ヵ月勤務、宿直勤務を月に7回くらい、残業を15時間くらいやって給料は手取りで約19万円くらいです、職場の人間関係が悪くて給料も安かったので退職。

 

⑫27才~継続中、2社目のビル管理会社でビルメン、正社員で21年勤務中

オフィスビルの設備管理の仕事を21年勤務継続中です。1社目のビル管理会社よりも給料は少し上がりました。人間関係も良好です。宿直勤務を月に8回くらい、残業を10時間くらいやって給料は手取りで22万円くらいです。

 

こんな感じでいろいろ転職してきました。転職は多くなってしまったけど、今の職場に流れ着いてよかったです。やっぱり職場の人間関係が良好だと働きやすいですね。仕事を長く続けられます。

 

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はじめまして、Fランクビルメンのはまです。 ブログを始めました。

こんにちは、Fランクビルメンのはまです。

ブログを始めました。

動画をYouTubeにアップロードしたりしていますが、ブログに記事を書いてみるのも

いいなと思いブログを作る事にしました。

このブログでは、私が経験した過去の仕事から現在の仕事まで、仕事関係の記事を書い

ていきたいと思います。

よろしくお願いします。